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職人の町と人のつながり

職人の町である京都では、まわりとの人付き合いが生活に大変影響しています。近所同士のつきあいも濃密で、言ってみれば隣家同士がそれぞれの晩ご飯の内容を知っているような状態。「うちよりうちの事情に詳しい方がぎょうさんいてはる」と冗談をとばすこともあったそうです。


京町屋には昔から、道行く人と家人とが密接に関わることができるよう造りを工夫する傾向があります。家の外側が簀の子であったり地面に砂利が敷き詰めてあったり。「外から中は見えぬが、中から外はよう見える」家人の帰ってくる音もよくわかる造りです。京都の人付き合いの密接さを語るのに、町内会の存在があります。町内会の元は江戸時代の隣組。数家庭ごとに班分けのように組まれていたそうです。この中から1人罪人が出ると、共同責任で皆が罰せられました。隣組は罪人を出さないために監視するための仕組みでもあったのです。それが町内会になり、半分見張り役のような存在となりました。代々やっている町内会長が責任者となり、何かあれば責任を問われます。その町に引っ越してくる者はまず町内会長のところへ挨拶に行って見定めをされますし、町内で誰かが嫁をもらうとなれば、やはりまずは町内会長のところへ連れて行ったのです。


京都の小学校は、明治初期に初めてできました。明治政府はお金がなくて、町内会が学校を作りました。町内会や町内会の大きな所が小学校の学区になったので、「うちの学校の方が立派や」と競い合いをしました。当時の報道新聞で有名な明倫小学校のように立派な校舎を作り、立派な先生を呼んで来て、という風に力を入れたのです。単なる行政の区割りのレベルではなく、芯から根付いた仲間意識、他地区との対抗心があったのです。


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